Ken’s四街道に行く途中のバス停。
その昔、高校を卒業した春休みに、
路線バスの車掌さんのアルバイトをした。
当時はまだ「国鉄バス」と言っていたこの路線バスは
まだワンマンでは無く、車掌さんが乗っていた。
労働組合なんかの絡みでワンマン化が遅れていたのだろうか。
車掌さんたちがいっせいに研修に行ってしまう間、
車掌さんのアルバイトが必要なんだと言われた。
大学進学も決まり、あとは引っ越す準備だけで
やることの無かったワタクシは、一人暮らしの部屋に置く
ステレオ購入資金を稼ぐために、この仕事を請けることにした。
初日、駅の上の事務所に行くと、国鉄の制服と帽子、
車掌さんバッグや切符切りハサミを渡された。
まず最初にするのは路線図を見ながら地名を覚えること。
バス停のアナウンスは車掌がするのだ。
「次は~、~です。お降りの方はボタンを押してくださ~い」
という具合だ。
ちなみに、降りる人がいれば、「次、停まりま~す!」、
誰も降りなければ、「降者無~し!」と運転手に伝えるのだ。
田舎の道を延々走る路線なので、停留所は知らない地名ばかり。
しかも、漢字をそのままの読みではないところが多い。
初日はバス停を覚えることとでほとんど終了。
二日目は料金表の見方と切符の売り方。
そしてハサミの入れ方など。
三日目はバスの誘導の仕方。
バックの誘導では、ピッ・ピッ・ピッと短く吹く笛を吹く。
ピピ~!と長く吹くと、バスは止まる。
バスが止まったら、タイヤに車輪止めをかますのも車掌の仕事だ。
数日の研修を終え、いよいよ乗車。
初めは本職の車掌さんが同乗してくれたような気がする。
いずれにしても、恐ろしく緊張したのを覚えている。
そしてひとり立ち。
停留所の名前は忘れるし、車止めを回収し忘れるしで、
散々なデビュー戦だったのだが、田舎の路線バスなので、
何を言われることもなく、乗っているほうもノンビリしたものだった。
運転手さんも、「ばあちゃんの家のそばで降ろしてやっから」と
停留所ではないところで降ろしてあげたりと、
あの時代、そして田舎ならではの運行スタイルだった。
(今も田舎のほうはそうなのか?)
最終バスへの乗車では終点の宿泊所に泊まる。
運転手さんから食事をご馳走してもらったり、
色んな話を聞いたりしながら、薄っぺらな布団で寝た。
次の朝、始発バスに乗務。
で駅の発着所に戻り、切符とお金の清算をして業務終了。
そんなアルバイトを3週間ほど続けた。
今にして思えば、高校を卒業したばかりの子供を
車掌として乗務させてしまうのは、かなり乱暴な話だ。
もちろん、現在は車掌さんが乗っている路線バスは無いだろうから、
こんなアルバイトも存在しないだろう。
時代を感じる、何とも貴重なアルバイト体験だった。
この話、書いたことあった?
(振り返るのが面倒になってる)
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