ロディックとジミー・コナーズがコーチ契約を解消しました。
ロディックのコメントからも、良くない分かれ方を
したのではないであろうことが伺えます。
さすがにコナーズも、ロディックについて世界を
ツアーするのはしんどかったのでしょうか。
しかし、ロディックの最近の復調振りを見るに、
コーチであるコナーズの存在が大きかったことは
間違い無いように思います。
さて、お気づきの方もいらっしゃると思いますが、
Ken’sアドバイザリースタッフでもある長塚京子プロが
高雄恵利加選手とのコンビを解消しました。
先日、長塚京子プロからその報告を受けていたのですが、
然るべきところで正式に発表するとのことでしたので、
ここにも書かずおきました。
長塚本人のブログでも報告されましたので、
ようやくお互いの整理がついたのでしょう。
長塚京子プロから色々と話も聞きましたが、
互いの更なる成長を考えた末の決断であることが
伝わってきました。
二人にとって、良い再スタートになることを願います。
コーチと選手の関係というのは、実は非常に難しい。
周囲を取り巻く状況は常に変わりますし、選手もコーチ成長する。
その時の最善の選択がコンビ解消ということも
よくある話だと思います。
考えてみれば、長塚京子ちゃんも、ウチのボスにコーチをして欲しいと
やってきたのは中学生の頃。
それまで彼女は、千葉県内の別のクラブで練習をしていました。
最初の依頼の時は、「選手を全面サポートするのは難しい」と
お断りをしたそうです。
しかし、熱心にお願いをされ「試合についていくことは難しい」
「週に~回の練習のみ」「必ずしも田村プロが見れるとは限らない」など、
いくつかの条件のもと、コーチを受けたのだったと思います。
実際、多忙なボスに代わって、ワタクシたちが
練習の相手をすることも多くありました。
(結構、大変でした)
そんな中、頭角を現し始めた長塚京子ちゃんは、
全国レベルは当然、プロの転向して世界を視野に
活動すべきかどうかを考える入り口に差し掛かりました。
つまり、更なるフルサポートを必要とする
段階になりつつありました。
そうなると、ウチではもう見ることは出来ませんでした。
世界も含め、ツアー生活のサポートを視野に入れ
それが可能な環境に移る必要がありました。
そうして、長塚京子選手はウチを巣立ちました。
その後、新たなコーチとのコンビで世界を回り、
立派な結果を出したことは、皆さんの知るところです。
世界ツアーを回っている頃は、なかなか会う機会もありませんでしたが、
TVやメディアからの情報を見ながら、ワタクシたちは長塚京子プロの
活躍を心から願い、喜びました。
たまに大会会場で会っても、長塚プロは、あの頃の「京子」のまま、
ワタクシたちに礼をつくし、接してくれました。
そして今、長塚京子プロはKen’sのアドバイザリースタッフとして
ワタクシたちとの良い関係を結んでくれています。
ひとりの選手が育つ過程においては、
初めてラケットを握った時のコーチから、
最後のコーチまで多くのコーチが関わっています。
選手が育つ、コーチが育つ過程において、
多くの出会いと別れがあるのは必然なのかもしれません。
しかし、それは人間としての関係が切れるわけではありません。
高雄プロにも長塚プロにも、さらなる素晴らしいステージが
あることを信じています。
二人ともガンバレ!