満月とか、除幕式とか。

テニス

出勤途中で。

そういえばそんなこと言ってた気が。
月を撮影するのって難しいよね。

さて、少し前のことになってしまったけど全日本選手権。

シングルス決勝戦の後に、あるセレモニーが行われた。

芝生広場の前にベールに覆われた像が。

各テニス団体の代表者が集結。

日本テニス協会の深澤会長がご挨拶。

そしていよいよ除幕!

現れたのは、熊谷一弥さんの銅像。

サイドには車椅子テニス日本代表チームの銘板。

反対側には

東京オリンピック日本代表選手の銘板。

この銅像は、1920年アントワープオリンピック大会にて
日本人として初めてオリンピックの銀メダルを取得された熊谷一弥氏、
東京2020大会で活躍された選手・スタッフの功績を後世に伝えるために建立されたもの。

土台の六角形は、え〜と、どんな意味だっけ・・すみません。忘れました。

たしか深い意味があったはず。

作者の池川直先生のご挨拶。

各団体代表者で記念撮影。

日本女子テニス連盟、日本プロテニス協会、日本テニス協会、日本テニス事業協会、テニス用品会と
各団体の協力のもとに実現した記念碑である。

ちなみにワタクシ、このプロジェクトメンバーとして準備に携わったのだが、
気の遠くなるような構想からハードルのクリアを経てのプロセスを経験した。

特に場所が東京都の公園であることで、とても多くの許可を得る必要があった。
交渉を担当してくださった方には本当に感謝である。

最後に熊谷一弥さんについて。

熊谷 一弥(くまがい いちや)
福岡県大牟田市出身の男子テニス選手。
旧漢字表記では 熊谷 一彌 と書く。

熊谷は日本テニス界の黎明期を築き、清水善造と共に
日本人テニス選手の世界挑戦への道を開拓した選手のひとりである。
1918年(大正7年)の全米選手権において
日本人テニス選手として史上初のグランドスラムベスト4に進出した。

1920年(大正9年)のアントワープ五輪で男子シングルス、ダブルスともに
銀メダルを獲得し、日本スポーツ界に初めてのオリンピック・メダルをもたらした。
(ウィキペディアより)

という、日本テニス界の開祖のような方なのだ。
この銅像も氏の有名なプレー写真からのもの。
テニスの携わってきた身としては、熊谷さんの前に立つと心が引き締まる思いだ。

そんなありがたい銅像が有明にはある。
ぜひご覧ください。

ためブロ

福島県生まれ。 普通の公務員の家に育ち、小〜中学校はバスケットボール部に所属。 強豪校のあまりに厳しい練習とレギュラー争いに嫌気がさし、個人スポーツをやることに。 高校で見つけたのがテニス。 当時まだ硬式テニス部は少なく、進学した高校でもまだ「テニス愛好会」だった。 テニスといえば女子、しかも愛好会という緩そうな雰囲気に惹かれ入部。 しかし、女子はおらず、東北なのでクレーコートが使えるまで、毎日ランニングと素振りの日々。 加えて、素振りをした途端に、先輩に「センスなし」から一刀両断。(笑) そんなテニスとの出会いが、今に至り、テニスで生きているという不思議な人生。 テニスを軸にたくさん勉強させてもらったことを駆使して、 テニス業界、スポーツビジネス界で生きている今現在。 座右の銘は「努力に勝る天才なし」 セミナー講師や研修も得意技。

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