銀座線渋谷駅の表示。
ビリヤードにしか見えない。
昔は毎晩のようにプールバーに行ってました、ええ。(遠い目)
さて、組織とか会社にはそれぞれの色がある。
その色は、会社の歴史やトップのカラー、性格とか、
様々な要素で染め上げられていく。
巷で耳にするブラック校則という隔離された世界で生まれるルールがあるように、
会社によって不思議なしきたりや文化があったりもする。
それはもしかしたら外から見たら、とても奇異なものかもしれない。
もしかしたら、「今の時代それはないでしょ」かも。
「日本の常識=世界の非常識」みたいな。
ただ中にいると、それが見えなくなる。
人生時間のほとんどをその組織での仕事に費やしているし、
その組織特有の価値観に染まっていったほうが楽に生きられる。
そして、組織特有の価値観に染まった人のほうが出世する。(たぶん)
よってその価値観はさらに強固になっていく。
多くのジャッヂはその価値観によってなされていく。
その組織の中では誰も疑問を挟まず、意を唱えず、
疑いようもないのだが、世間に出た時にそれは正しいのか?
判断基準はどこに置く?
感覚、感性のベースはどこにある?
ワタクシ、判断基準は組織の価値観ではなく、世の価値観に置きたい。
だから「そんな理屈、世間では通じないでしょ」ってこともある。
組織の価値観で付和雷同した方がたぶん楽だし、出世もするだろう。
ただ、それでその組織が良くなるとは思えないのだ。
だから、正道や広い価値観で見られる目をなくしたくない。
判断基準はあくまで「世の中」であり「社会」だ。
会社は社会の公器だから、社会性がなければいけない。
社会性があるってことは、世間様の表通りから外れないってこと。
組織特有の価値観を否定はしないが、
そのまま世に出しても大丈夫かと考えることは必要。
そういう意味で、組織にどっぷり浸からないこと。
内部の付き合いももちろん大事だが、自分の均衡を保つためには、
より積極的に外部の付き合いや情報交換をするようにしている。
長年培ってきた文化は素晴らしい。
ただそこにはもう通用しないものもある。
やってはいけないこともある。
すべては流れ行く世の中が決めること。
「ウチはそんなの関係ね〜」とは言えないのだ。
ある名前を聞けば誰でも知っている企業のトップが言っていた。
「日本企業の会社員の多くが会社に引きこもっている」
まさにタコツボ、井の中ってことだ。
付き合いが良いとか悪いとかではなく、
世間と付き合いたいし、世間から評価されたい。
限られた組織の中で「愛いやつ」だけの評価は、一歩外に出たら通用しない。
どこでも通用する自分でありたい。
そのうえで組織に貢献できる人材であるべきだと思いながら、
気づけばフィニッシュはもうそこまで来ている。
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