まだこれからすべきこと、しなければいけないことはたくさんあります。
忘れないこと、続けることです。
頑張ろう、日本!
日課の恵比寿から代々木までのウォーキング。
まだまだ夏の名残で暑い。
いい加減汗をかいた頃に表参道を渡るのだが、
ここにこんな看板。
汗をかいた体にドンピシャのコロナビール。
ああ、美味そう。
まだ朝9時にもなってないけどね。
でも、コロナって、朝のうちから飲んでもいい感じしない?
しない?
ああそうですか。
さて、20代の頃、30歳過ぎは立派な大人で、
仕事もちゃんと出来るようになるのだろうと思った。
40代、50代なんてのはもはや大人の極みで
分別や大義、常識、正義・・・、
人として、仕事も人格もほぼ完成形になるものだと思っていた。
しかし自分を思えば、実際のところはそんなことはなく、
ダメな部分はダメなままだし、出来ないことは相変わらずだ。
そして「いい年して」とはよく言ったもので、
本当にいい年をして、荒唐無稽な言い訳や、
いい加減なことばかりする大人もいるということを知った。
仕事をバカにしているのか、人生を舐めているのかは分からないが、
中学生レベルの責任感やメンタリティとしか思えないような人も
確実に存在するのが世の中なのだなぁと思い知る。
自分も少し場所を変えれば非常識の極みと
思われてしまうような人間なのかもしれない。
それでもそれなりに世の中に通用するような
振る舞いをしたいと思うけど。
公共のマナーについても「今の若いヤツらは」で括れないことも多い。
電車内で携帯電話で平気で通話し続ける人、
タバコをポイ捨てする人、
運転マナーどころかルールも守らない人、
街中で見る非常識に年齢性別は関係ない。
「今の若い奴らは」なんてステレオタイプは通用しないどころか、
むしろ年齢の高い人に多いような気すらする。
結局は人のつくりがすべてなのだろう。
どんな環境に育ったか。
どんなふうに生きてきたか。
周りが見える目を持っているか。
自己を客観視出来るか。
それをすると、それを言うとどうなるかの想像力を持っているか。
人は余程のことがないと、そう簡単には変わらない。
余程のことも、自分自身がそう感じることでしかなく、
「そんな自分が大好き」「俺ってこんなヤツだしさ」と言っているうちは
何も変わらないだろうと思う。
それで良いのかは個々の判断、人生観だろうけど
社会、取引先、組織と関わる限りは一定のラインは必要だ。
それは「日和る」ことでも「丸くなっちまう」ことでもない。
良い仕事をするためには自分とも本気で戦うこと。
「オレってこんなヤツ」とか「自分は悪くない。周りが悪い」
は逃げでしかない。
大人の世界、仕事の世界では、拗ねていても手が差し伸べられることはない。
そんなガキの論理は存在しない。
出来るか出来ないか、やるかやらないか、力があるか無いか、
そして、正しいかである。
それが能力であり、器だ。
持ってなけりゃ、もがき、磨くしかないのだ。
年齢は関係ない。
ちゃんとした大人なんてのも幻想。
大人でも子供でもちゃんとしている人はいる。
今年の正月、スタッフから質問された。
「今年の目標はなんですか?」
「ちゃんとやる!・・かな」
「なんか、怖いっす」
ちゃんとやろう。
と、自分に言ってみた夜。
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