夜、オフィスに戻る予定でいたが、
伊達さんの試合が始まる時間てことで、
急遽直帰に変更、家で試合を観ながら仕事をすることにした。
相手がサフィーナだから、もしかしてという期待もあった。
しかし、ファースト0-5になったとき、「やっぱ無理だよねぇ」と思った。
でも伊達さんはそんなレベルじゃなかった。
やっぱりスゴイわ。
観て良かった。
先日、Ken’s四街道で打ち合わせ。
終了後、畠山コーチがラケットの束を出してきた。
そこにはなんとも懐かしいラケットたちが。
先日、クラブハウスに昔のラケットをディスプレイしたのだが、
それを見たお客様が、「ボクもこんなの持ってるよ」と
見せてくださったものらしい。
あまりの懐かしさに、畠山コーチ・稲葉コーチと盛り上がって、
写真撮影会&昔話大会になってしまった。
ということで、その中の1本。
MUZINO Ivan Lendl
当時のトッププレーヤー、イワン・レンドルの使用モデル。
あのレンドルが日本企業と用具契約ということで驚いたものだが、
他にもガブリエラ・サバティーニがヤマハラケットを使っていたりと、
その頃の元気な日本を象徴していたのかもしれない。
ワタクシが知る限り、デビュー当時のレンドルは、
クナイスルのホワイトスターを使っていた。
フェイスは小さく、やはり骨太のフレーム形状だった。
価格も骨太で、4万円近くしたと記憶している。
実はワタクシ、このホワイトスターを使っていた時期がある。
もちろん、新品は買える筈も無く、アルバイト先のヘッドコーチの
お下がりを2本譲ってもらったものだった。
レンドルの活躍とともに「WHITE STAR」は、
「WHITE STAR LENDL PRO」とシグネーチャーモデルに
名称が変わっていった。
その後、レンドルはアディダスと契約。
GTX-PROというこれまた骨太のラケットになるのだが、
基本的にはホワイトスターとほとんど同じシルエットに見えた。
打球感はGTX-PROのほうがハードに感じたのだが、
これはレンドルのプレーの進化に伴うリクエストなのかも。
他にもウインブルドンに勝つためにフェイスを大きくした
GTX-PRO Tとかいうラケットを使っていた時期もあったと思うが、
結局、ウインブルドンは取れずじまいだったっけ。
「フェイスを大きくしてもネットプレーヤーにはなれないんだなぁ」
と思ったものだ。
そして、プレーに若干翳りが見えはじめた頃、
アディダスからこのMIZUNOに契約が変わった。
契約金が手の届く範囲に下がったからなのかもしれない。
これまたゴツいシャフトにはIVAN LENDLの文字と、
サイドに燦然と輝くMizunoのロゴ。
この時代のラケットにしても、スロートの小ささが特徴的。
フェイスは90平方インチ。
初期に使っていたクナイスルより大きくなっている。
後期はパワーを求めたのだろうか。
少し太めのグリップエンド。
これは後からチューンしたものかもしれない。
実はワタクシ、GTX-PROもこのミズノも使っていた時期は無い。
クナイスルの抜けるような打球感とはかなり違っていたし、
そもそもレンドルがそんなに好きではなかったからだ。
とはいえ、マッケンローが大好きだったが
MAX200Gも使ってはいないのだけど。
今にして思えば、この時代はキャラの立った選手が
たくさん活躍していた時代だった。
特にネットプレー&タッチのマッケンローと、
ベースライン&豪打のレンドルの二人は
まるでつくられたかのような見事なコントラストを見せてくれた。
これは、そんな時代を象徴する1本だ。
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