Roland Garrosの思い出

今年もローランギャロが開幕した。
一度しか行ったことがないけど、4年前の思い出話。
当時はブログもやっていなかったので、写真もほとんど未公開。
そんなわけで少しだけアップ。

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2004年のこの時期、私たちはローランギャロにいた。
もう4年も前の話になるのか。

実はこのローランギャロ視察は
あまり気乗りしていなかった。

真夏のメルボルンという、底抜けにリゾート気分な
全豪オープンの印象が良すぎて、
ただでさえ面倒くさがりなワタクシは、
英語も通じないパリへ行くのは気が重かった。

しかも同行者が、澤村コーチ、富田コーチという
海外ではまったく頼りにならなそうな二人だったから、
なおさらプレッシャーが大きかった。

もちろん、ワタクシ自身も英語ですら堪能なわけでもなく、
学生時代に第2外国語で選択したフランス語も
挨拶程度だったから、頼りないのはお互い様だった。

以前の全豪オープン観戦もそうだったかが、
グランドスラムのチケットはWOWOWの解説でお馴染みの
柳恵誌郎さんに取っていただいた。

柳さんからは、
「ローランギャロは素晴らしいよ。
  グランドスラムで一番美しいかもしれないよ」
と言われたが、パリという街はワタクシの気持の中では
非常に遠いものだった。

さて、成田からのロングフライトをアルコールと映画で
なんとか乗り切った私たちを迎えたのは、
数時間前にシャルルドゴール空港の屋根が崩落し、
エリアの半分が封鎖されているというトラブルだった。
何便か早ければ自分たちも事故に遭っていたかもしれないと思うと
ゾッとすると同時に、すっかりパリの第一印象を悪くしてしまった。

あとで聞いたら、この事故の一報を聞いて、
会社も家族も随分心配していたらしい。

そんな思いのままパリ市内に入り、ホテルにチェックイン。
オペラ座の近くのそのホテルは、こじんまりしたいかにも
ヨーロッパふうな宿だった。
Imgp1520

事前情報でオペラ座付近のメジャーな観光地は
スリや置き引きなど犯罪が多いということだった。

散策しながら夕食をとろうと、街に繰り出した私たちは、
警戒のあまり、そこらへんの犯罪者よりも悪い目つきで
パリの街をさまよった。

何を食べるかの相談もまとまらないままに
行き着いた日本人街で食べたのは、
日本のビールと味噌ラーメンと餃子という
なんともパリらしくないものだった。

その後、パリの雰囲気を味わおうと
フラフラと散歩したら、見事に迷子になった。
加えて、さっきのビールのせいか、トイレに行きたくなる。

パリの街は公衆トイレが有料だ。
コインを入れないと、トイレが開かない。
しかも、どのコインなのかも良く分からない。
あとは、カフェに入るしかない。

そこで、せっかくだからとカフェに入ろうということになる。
トイレも借りたいし、帰り道も聞かなきゃいけないし。

目についたカフェに入り、ワインを頼んだ。
よく分からないので、名前の知っているシャブリを頼んだ。
トイレを済ませ、ウエイターにホテル名を告げ、道を聞く。

 「そのホテルはそこを曲がってまっすぐだ。
  歩いて3分、走れば1分だよ」

なかなか洒落た答えをするものだ。
さすがパリジャンだ。
聞いてみれば、ホテルはすぐそばだった。
わざわざカフェに入らなくても良かった。

そんな小さなアクシデントもありながら、初日の夜は更けていった。

次の日、オプションの半日パリ市内観光をした。
ほとんどの観光地をバスの中から観るだけという
強引なツアーを終え、メトロを乗り継いでローランギャロに向かった。

メトロも犯罪が多いと聞いていたので、絶対に油断すまいと
かなり攻撃的な表情をつくって乗っていたので、
もしかすると我々こそが犯罪者に見えたかもしれない。

最寄の駅を出て、人波に身を任せローランギャロに向かった。

会場に入るとそこはまさに別世界だった。
Imgp1580
5月の新緑とクレーの赤のコントラスト。
まさにテニスの歴史を感じさせてくれる一大パークだった。
柳さんの「ローランギャロが一番美しいかも」と言った言葉に
心から納得した。

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(グランドスラム会場には必ずある)

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(ビールスタンドは少ない。やっぱりワインバーが多い)

センターコートに入ると、ちょうどアガシの1回戦だった。
Imgp1595
しかも、私たちがその雰囲気に感動しているうちに
アガシが赤土に沈んだ。
あの精密機械のようにボールを打ち続けるアガシにして
赤土の餌食になって消えていった。

それは私たちに、赤土の勝ち方は違うのだと教えてくれているようだった。
美しいだけではないローランギャロの幕開けだった。

・・・というわけで、2004年のローランギャロの思い出。

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