腰が痛いぞ、かなり痛い。
軽いぎっくり腰状態。
痛み止め飲んで、コルセットしてごまかしてるけど
ちょっとツライ。
で、オフィスが暑い。
とにかく暑い。
ビルの空調のせいもあるみたいだけど、
本社スタッフによると、サーバーの影響も大きいみたい。
早く、どげんかせんとイカンな、これ。
(注:東北人)
そういえば、澤村コーチがブログで失礼なこと言ってたな。
まるで今までは、気が向いたときしか
練習してなかったみたいじゃないか。
そのとおりではあるんだけど、
「気が向く」んじゃなくて、「気を向ける」わけよ。
分かるかな、この違い。
さて、久し振りの実家は、新しいものと古いものが混在した
不思議な空間でもあった。
リビング脇の小上がり(小さな畳スペース)には・・・
「使えんの?これ」と聞いたら、「まさか」だって。
インテリアらしい。
そりゃそうだ。
ネットでの商売もやってて、宅内LANも完備してるのに
黒電話が現役のわけ無い。
「久し振りに見たよ」
と感激してたら、
「一台、新品があるから持ってく?」
冗談だと思ったら、本当にあった。
ためしにジャックを繋いで、ダイヤルを回してみた。
発信音は聞こえど、どこにも繋がらず。
ソニー製のマイクロフォン
不思議なジャック形状。
何に使ってたんだろう?
最後に使ったのは、高校1年生の時のインターハイ。
先輩が、優勝した吉田泰子選手のファンで、無理やり録らされた。
今だったら、あやしい盗撮野郎かストーカーだよ。
数十年ぶりに再会したことになる。
(ワタクシが一方的に知ってただけなんだけど)
吉田さん本人よりも当時のことを覚えてた。
探せば、決勝戦のフィルムがどこかにあるんじゃないかと思う。
保存状態は分からないけど。
そんな(変な)思い出のカメラ。
すっかりメジャーになったハウンドドッグも、
最初は東北(仙台)拠点。
やたら元気だけはあるロックンロールバンド
ということで東北では有名だった。
デビュー前から、よくライブを観にいった。
デビュー後もかならず東北ツアーをやってくれた。
最初の頃は小さなホールでやってたけど、
売れてくるに従って、少しずつ大きな会場になっていった。
当時は、ライブ終了後、楽屋に押しかけて、
メンバー全員のサインをもらったりした。
そんなことが出来た時代だった。
メンバーが入れ替わったり、メジャーなヒットを
飛ばしはじめたころから聞かなくなった。
小さなホールで死ぬほど熱いライブを
やってた頃が好きだった。
大友さんには、変な映画とかバラエティ番組
なんかには出て欲しくないかな。
デビューからのレコードもすべて残ってた。
これはセカンドアルバム。
今回の帰省はたった一泊だったけど、
なんだか色んなものを発掘した旅だった。
これもリフォームのおかげか。
宝箱ならぬ、ガラクタ箱ならぬ、不思議箱だった。
次回、これが地獄の釜に変わる編で最後にしたい。
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