昼ごはんとか、やっぱプレステとか。

テニス

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インカレ会場の近くには食事するところがない。
毎日昼ごはんはコンビニで買ってきたおにぎり&パン。

あちこち動き回るので、気づけばナンみたいにペタンコになっているカレーパン。


さて、何はなくともPRESTIGEである。

HEAD・PRESTIGEとの付き合いは初代からだから、もう何年になるのだろう。
調べてみたら、初代発売は1987年だって。
まさにワタクシが職業コーチへ足を踏み外した・・・いや、踏み入れた頃。

初代機は清水の舞台からスカイダイビングの思いで購入。
これまで使っていたボックス形状のラケットとはまた違った剛性と、
振るたびにヒュンヒュンと風切り音がする不思議な感じに
これぞ次世代のラケットかと思った初代だった。


ちなみにその前に使っていたのも実はHEAD。
GRAPHITE PROを3本持っていたのだが、
どうして3本も買えたのかはよく覚えていない。

とにかくあの頃のHEADは黒基調のフレームでバッグ系も黒。
契約選手やコーチのTEAM HEADメンバーのウェアも黒、
バッグには名前がプリントされていてメッチャカッコよかった。

選手では桜田倶楽部の岡田選手など、ジュニアのそうそうたるメンツが
HEADのラケットを使っていた。
たしか辻野選手も後にプロスタッフに持ち替えるが
当時はHEAD GRAPHITE PROを使っていたような。

メンタルタフネストレーニングで有名なDr.ジム・レイヤー氏もTEAM HEAD。
その関係でナショナルチームの合宿に招かれていたっけ。
SSCで行われたデ杯メンバー合宿での練習を見学し、
レイヤー氏の講義も当時の選手の皆さん(竹内映二さんなど)と
一緒に受講した記憶があるのだが、どうしてそんなことが出来たのは
今となっては思い出せない。

とにかくTEAM HEADはカッコよく憧れだった。
あのメンバーに加えてもらえないかと無謀なことを考えては
ひどく裏切られた話もあるが、それはまたの機会に。



その後のワタクシは会社の意向で他ブランドと契約をした。
メーカーさんとコーチ契約をしたのは後にも先にもこの時だけ。
現在に至るまでどこのメーカーさんとも契約はしたことがない。

もちろんHEADさんとも契約はない。
しかし、歴代の使用モデルではHEADが一番多い。

GRAPHITEPRO 〜 PRESTIGE 〜 Ti HEAT 〜 i PRESTIGE 〜
MG PRESTIGE・・・あとなんだっけ?
とにかくHEADの歴代モデルで打たなかったものはない。たぶん。

そんなHEAD PRESTIGEの最新モデルは実はまだ
それほど打ち込んでいないってことで、「比べてみなっせ」と
コバヤシさんが貸してくれた。

なかなか打つ時間が取れないのが現実なんだけど、
無理やり時間をつくって打ち比べをしてみることに。

長くなったので、続きは次回に。



ためブロ

ためブロ

福島県生まれ。 普通の公務員の家に育ち、小〜中学校はバスケットボール部に所属。 強豪校のあまりに厳しい練習とレギュラー争いに嫌気がさし、個人スポーツをやることに。 高校で見つけたのがテニス。 当時まだ硬式テニス部は少なく、進学した高校でもまだ「テニス愛好会」だった。 テニスといえば女子、しかも愛好会という緩そうな雰囲気に惹かれ入部。 しかし、女子はおらず、東北なのでクレーコートが使えるまで、毎日ランニングと素振りの日々。 加えて、素振りをした途端に、先輩に「センスなし」から一刀両断。(笑) そんなテニスとの出会いが、今に至り、テニスで生きているという不思議な人生。 テニスを軸にたくさん勉強させてもらったことを駆使して、 テニス業界、スポーツビジネス界で生きている今現在。 座右の銘は「努力に勝る天才なし」 セミナー講師や研修も得意技。

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