代車とか、懐かし〜とか。

テニス

レックインドア テニススクール新百合ヶ丘、
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ランクルくんの車検で代車を手配してもらった。

なんていうクルマか知らないし、3kmも運転してないけど、
原付感覚で運転できるし、長距離乗らないならこれで十分だな。
でも、新しいランクル乗りたいぞ。




さて、プロテスト会場で懐かしいものたちに遭遇した。

会場のロングウッド長久手さんの階段にラケットが飾ってあった。

ウインブルドン、YAMAHAのラケットカバーに思わず反応。
ちょうどワタクシがテニスをはじめた頃のモデルたちだ。


おお!カワサキ・キャリア。

部長のアライくんが使ってたな〜。
派手に打ちまくるワタクシは、繋ぎまくるアライくんにはまったく勝てなかったっけ。


フタバヤ・ウイニングショット

当時の高校生の定番モデルだった。
ワタクシはゴールデンショット派だったけど、
ウイニングショットはメッチャ売れていたモデル。

シャフトのカラーは白しかなかったと思っていたのだが、
後年様々なバリエーションがあることを知った。
この頃はメーカーさんも選手へ提供するモデルや、
お金を出してのカスタムメイドをけっこうつくってくれてた。
田舎の高校生だったワタクシたちはさすがにそこまでは手が出なかったけど。


カワサキ・エバーウイン

女子に使用者が多かったかな。
マスターストロークというモデルも女子がよく使っていたような。


これは・・よく知らない。

当時、ミズノはBLACKJACKというモデルを強力に打ち出してた。
アラキくんが使ってて、当時の高校生にはめずらしくトップスピンを打ってたっけ。
ヘビースピンをかける選手はあまりいなかったので、結構な武器だったと思う。
ちなみにワタクシ、彼には一度も負けたことはない。(エッヘン)


ウイルソン・ジャッククレーマー

これは、オートグラフというモデル。
伝説のウインブルドンでマッケンローが使っていたのはジャッククレーマー・プロスタッフだ。

ウイルソンは当時でも15,000円くらいした。
国産のカワサキ、フタバヤが6,000円くらだったから、やっぱり輸入品は高価だった。

小学校から一緒だったヒデユキくんが清水の舞台から飛び降りる思いでこれを買ったのだが、
途端に強くなって、あっという間に部内1位になったのは驚いた。

後年、彼は体育大に進み、教師になっているくらいだから、
もともとの素養はあったのだと思うけど、
ラケットで覚醒するってあるんだなと思った1本。

ちなみに彼は歴史の授業で「平将門」を「へいしょうもん」と読んだのはヒミツ。
今、先生だけど。


ウイルソン・T2000(左側)

ジミー・コナーズでおなじみのアルミフレームのモデル。
硬そうに見えるが、実際にはかなりしなる感触があるので使いにくい。
おまけにこのフェイスの小ささは普通じゃない。
どフラットというか、むしろフォアも軽いスライスのコナーズだからのモデルだと思う。

このラケットは当時でも2万円オーバーだったと思う。
お金持ちの他校のヤマザキくんが何本も持ってた。
今思えば、このラケットでかなりのスピンサービスを打ってたから、
彼も普通じゃなかったのだなぁ。


時代はかなり進んで、プリンス・スペクトラムコンポ

発売時は真っ白のフレーム。
これは後から発売になった特別バージョンだったと思う。

軽快な打球感で飛びも良いし、フレーム剛性も高く、
ワタクシ的にはかなり好みのモデルだった。

ただ、使っているうちにシャフト部分に
無数のへアクラック(塗装部分のひび割れ)が出てしまうのがちょっと。
そのためかけっこう短命に終わってしまった気がする。
いいラケットだったんだけどなぁ。


ダンロップ・ポリゴン

景気がよかったからなのか、この80年前後は実験的なモデルも多かった。
ポリゴンもなかなか普通じゃない。

このラケットを使っていたまだ大学体育会だった大森豊選手
有明でのなんかの大会の準決勝くらいで2-6 2-6くらいで
手も足も出ずに負けた苦い思い出のラケット。(笑)


ということで、しばし思い出に浸りながらラケットに見入ってしまった。
音楽と一緒で、昔のラケットってその頃の時代や人の顔が浮かんでくる。
自宅のラケットラックに入りきれない昔のラケットたちももう一度引っ張り出すかな。

ためブロ

ためブロ

福島県生まれ。 普通の公務員の家に育ち、小〜中学校はバスケットボール部に所属。 強豪校のあまりに厳しい練習とレギュラー争いに嫌気がさし、個人スポーツをやることに。 高校で見つけたのがテニス。 当時まだ硬式テニス部は少なく、進学した高校でもまだ「テニス愛好会」だった。 テニスといえば女子、しかも愛好会という緩そうな雰囲気に惹かれ入部。 しかし、女子はおらず、東北なのでクレーコートが使えるまで、毎日ランニングと素振りの日々。 加えて、素振りをした途端に、先輩に「センスなし」から一刀両断。(笑) そんなテニスとの出会いが、今に至り、テニスで生きているという不思議な人生。 テニスを軸にたくさん勉強させてもらったことを駆使して、 テニス業界、スポーツビジネス界で生きている今現在。 座右の銘は「努力に勝る天才なし」 セミナー講師や研修も得意技。

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