バイクとか、日本プロテニス協会とか。

テニス

旅ランの途中で。

カッコいい。ベース車なんだろう。

さて、最近は品川方面に行くことが増えた。

どこかっていうと、ここね。

(公社)日本プロテニス協会である。

(公社)日本プロテニス協会は昨年、設立50周年を迎えた。
この記念すべき節目の年に執行部の一員として関われることに感謝しつつ、
バタバタとお手伝いをしているのだ。

これは記念のサーモボトル。

そういえばまだ買ってなかった。
忘れてた、ごめん。
今週、事務局に行った時に買います。


そんな、プロ協会から荷物が届いた。

開封の儀。

シンプルで上品なカバーから中身を出すと・・・

50周年記念誌だ。

構想から取材、製作〜完成まで1年以上かかったが、ようやく完成した。
ワタクシも編集委員として携わらせていただいたが、なかなか大変な作業だった。

50年分の過去の資料を整理し、歴史を整理する。
昔の資料は手書きだったり、携わった方の記憶が頼りだったり、
歴史を知る方がすでに亡くなられていたりで、作業は難航を極めた。

創設当時の大御所の皆様にお話を聞きにあちこちへ行った。
もちろん大御所の皆様はワタクシを知るはずもなく、
「ん?キミはだれ?」ってことも少なくない。

まあ、知らないからこそ突っ込んだことも聞けたのだけど、
なんにしても冷や汗ダラダラの取材も多数だった。

日本プロテニス協会といえばの、SEIKO SUPER TENNISに携わった皆様に
お集まりいただき、座談会をお願いしたりもした。

ボルグ、コナーズ、マッケンロー、ああ懐かしい。
あの頃のテニスはスター選手がたくさんいたなぁ。

というわけで、とにかくたくさんの重鎮の皆様に
ご協力いただいての50周年記念誌がようやく完成となった。
ワタクシは一編集委員なので、記念誌上に登場してはいないが、
この機会にあらためて協会の歴史、携わってこられた多くの会員や企業様などを
確認しつつ、感謝しつつ編集作業に携われたことは貴重な経験だった。

多くの先人たちがつくってこられた日本プロテニス協会を
さらなる未来につなぐべく、正しく、出来る限りの働きをしようと
あらためて思う、今日この頃である。

ためブロ

ためブロ

福島県生まれ。 普通の公務員の家に育ち、小〜中学校はバスケットボール部に所属。 強豪校のあまりに厳しい練習とレギュラー争いに嫌気がさし、個人スポーツをやることに。 高校で見つけたのがテニス。 当時まだ硬式テニス部は少なく、進学した高校でもまだ「テニス愛好会」だった。 テニスといえば女子、しかも愛好会という緩そうな雰囲気に惹かれ入部。 しかし、女子はおらず、東北なのでクレーコートが使えるまで、毎日ランニングと素振りの日々。 加えて、素振りをした途端に、先輩に「センスなし」から一刀両断。(笑) そんなテニスとの出会いが、今に至り、テニスで生きているという不思議な人生。 テニスを軸にたくさん勉強させてもらったことを駆使して、 テニス業界、スポーツビジネス界で生きている今現在。 座右の銘は「努力に勝る天才なし」 セミナー講師や研修も得意技。

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